「オモニ(母)のドキュメンタリー映画を撮ろうと思う」 妻であるヤン ヨンヒ監督からそう告げられたのは、2016年のことだ。『ディア・ピョンヤン』『愛しきソナ』に続く新たなドキュメンタリー映画を作ると言う。当然ながら、その挑戦に水を差すどころか「映画を早く観たい。がんばれがんばれ」と背中を押した。だが、続く言葉を聴いてイスから転げ落ちた。 「オモニとあなたを撮りたい。カメラを回してもいいかな。顔を映すのに差し支えがあるなら、首から下を映すとか、顔が映らないように工夫してカメラを回すから……」 ドキュメンタリー映画の被写体になるという行為は、監督と共に海に身投げするようなものだと私は思う。中途半端な構えで『スープとイデオロギー』に参加すれば、荒海に揉まれて溺れ死ぬかもしれない。ヤン ヨンヒ監督と家族が生きてきた長大な時間と記憶の海に、思いきって飛びこんでみよう。カメラの前ですべてをさらそう。そう決めた。