ヤン ヨンヒ

1995年、小さなビデオカメラを買い家族を撮り始めた。照れながらも撮られることを楽しんだ母、3年間カメラから逃げ続けた父。そんな大阪で暮らす両親とは対照的に、ピョンヤンで暮らす甥っ子たちや姪っ子は生まれて初めて見るビデオカメラを不思議がり「音も入るの?」と逆にレンズからカメラの中を覗き込んだ。価値観の違いからよそよそしくなっていた両親と私との間で、全く違う社会制度で暮らすピョンヤンの家族と私との間で、オモチャのようなビデオカメラが素晴らしい仲介役として機能し家族を繋いでくれた。
私は東京とニューヨークで暮らしながら、大阪とピョンヤンに住む家族を撮り続けた。兄たちと生き別れになった喪失感を埋めるため、両親の人生の選択の理由を知るためであった。自分が選んでもないがしかし背負わなければならない出自たるものと向き合い、凝視し、解剖し、その正体を知りたかった。家族を傷つけることを承知の上で挑んだ映画制作だったが、家族の愛情に支えられた協力なしでは実現しなかったのは言うまでもない。
最初は『ディア・ピョンヤン』の完成だけが目標だった。撮影時のデスパレートな自分を思い出すと、その大胆で怖いもの知らずのような積極性に笑いが込み上げるほどだ。そしてスピンオフのように誕生した『愛しきソナ』には、言葉足らずながら吐き出さずにはいられない切なさが漂っている。
『ディア・ピョンヤン』(05)と『愛しきソナ』(09)の制作過程で新しい目標が生まれ、『かぞくのくに』(12)と『スープとイデオロギー』(21)に繋がった。更なる目標に向かって歩もうとする今、デジタル・リマスタリングされ蘇った『ディア・ピョンヤン』と『愛しきソナ』を届けられることに心から感謝している。ヨチヨチ歩きな映画監督が地べたを這うようにつくった作品を、寛大な心持ちで楽しんで頂きたい。