ヤン ヨンヒ監督に頭を下げて謝罪した日

荒井カオル(プロデューサー)

韓国郊外を散歩中、ヤン ヨンヒ監督が発した言葉を聞いて頭が真っ白になった。「『ディア・ピョンヤン』と『愛しきソナ』のデジタル・リマスタリングをやりたい」。費用はいくら必要なのかと尋ねると、最低でも1000万円はかかると言う。私財を投入して制作した『スープとイデオロギー』が完成した直後の私に、貯金はビタ一文残っていない。「個人の力でやれることには限界がある」と弱気な言葉をつぶやき、黙って下を向いてしまった。

2021年9月、映画『スープとイデオロギー』が韓国の映画祭で初公開された。パンデミックの真っ最中であるにもかかわらず、熱狂的な観客で映画館は埋め尽くされた。ワールドプレミアの初上映を、あのパク・チャヌク監督が観に来てくださった。上映後、控室に居残って3時間も映画談義を続ける監督の姿にのけぞった。
別の日には、俳優のキム・ユンソク氏やヤン・イクチュン氏が来場した。『ディア・ピョンヤン』を何十回も観ているというキム・ユンソク氏は、「ヤン ヨンヒ家族ドキュメンタリー3部作」について、なんと5時間もトコトン語った。挙げ句、アボジ(父)のセリフを暗誦までしてみせた。ヤン監督の映像作品が、名監督や名俳優の魂に突き刺さっている事実に驚愕した。 「弱気は最大の敵」が自分のモットーであったはずだ。いつの間にか私の魂は、弱気にすっかり食い破られていたのかもしれない。その日の晩、私は居住まいを正してヤン監督に深々と頭を下げた。

「戦う前から『個人の力でやれることには限界がある』と不戦敗を宣言してしまい、とんだ心得違いだった。申し訳ない。資金調達は僕が引き受ける。これからたくさん原稿を書いて資金を稼ぐから、心配しないで作業を進めてほしい。デジタル・リマスタリングをなんとしても成し遂げよう」
それから幾多の困難を乗り越え、プロジェクトはゴールした。映画を通じて、観客はアボジとオモニ(母)に、いつでも何度でも出会える。人は死して死なず。アボジとオモニはスクリーンの中で永遠に生き続ける。ヤン一家の姿を目撃した観客が何を感じ、どんな表情をまとって映画館から出てくるのだろう。映画館でその様子を眺めるのが、今から楽しみでたまらない。